「人」について話すのをやめませんか


ふと、インド料理屋でチーズナンを一人摘んでいると、隣の席の話し声が聞こえてきた。

どうやら2人とも主婦のようで、どこかの同じ組織(おそらくPTAかもしれない)に属しているようで、

「〇〇さんが・・・・・」

「△△さんが・・・・・」

と、人の噂ばかりしているではないか。

 

そんな光景は日常茶飯事かもしれないが、ふと、会社員時代を思い出したのである。

ぼくは、1年3ヶ月で会社を辞めたのだけど、その期間では大きな変化があった。

それは、

1年目から2年目になって後輩ができたということだ。

 

後輩ができたということは百戦錬磨の会社員の方々にとってなんてことかもしれないが、ぼくにとっては新鮮で、ギリギリ2年目になるまで会社員を続けて良かったと思っている。

 

ただ、そんな1年目から2年目になるときに気になることがあった。

それは、

2年目になると同期たちが「人」についてしか話さなくなってしまったということだ。

1年目の時は、夢とか、仕事のやりがいとかが主なトピックスであって、人について話すことは少なかった。

結果的に、飲み会でも話すことが楽しく、違和感を感じることは無かったことを覚えている。

 

しかし、2年目になってどうだろうか?何が起きたのか知らないが、同期のみんながみんな、

  • 部下の愚痴
  • できる先輩できない先輩の話
  • 社内の誰と誰がやったなどの噂話

しか話さなくなってしまったのだ。

1年目の話題とは誰も気づいていないかもしれないが、話題のトピックスが「事柄」から「人」に変わってしまっていたのである。

 

そのためなのか、途端に同期達と飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったりするのが億劫になってしまったのだ。

どうやら、この「人の話題」に対して違和感を抱いていたのはぼくだけらしく、みんながみんな人について話を続けていた。

 

おそらく、人について話することで仕事で発生した不条理などのストレスを発散させていたのかもしれない。

そうでもしなければ、社会人2年目となった彼ら・彼女らは会社員を続けていられなかったのだろう。

 

ぼくがこの手の話題に加わらない理由は、

それが動物の本能に支配された会話だからだ。

 

人間は古代から自分を守るために言語能力を発達させてきた歴史がある。

周囲の「人」についての情報を交換することで、安心し、明日・明後日も生き延びることができたのだ。

その「人」について話し続けた結果、今のぼくたちががあると言っても過言ではない。

したがって、同期たちが「人」について話し出すという変化は人類の歴史上、何も不自然ではないはずだ。

 

ただ、ぼくにとってはこれが苦痛だったのである。

結局、この人について話して盛り上がる同期たちについて行けなかったこともあって、ぼくは会社を辞めたのかもしれない。

 

果たして、せっかく限りある時間を、大昔を生きてきた先祖たちと同じく「人」について話すことに使っていいのだろうか。

ぼく達はもっと自由なはずだ。

ちょっと昔までのように、国家などの集団に生き方を束縛されてきた時代ではない。

「人」の代わりに、もっと自由に、自分の夢や好きなことなどの情熱を周りに語ってもいいはずだ。

人について話さなくても命を脅かされない現代に生きるぼくらは、いま改めて、どんなことについて話すのかについて考える必要がある。

 

 

Pocket
LINEで送る

コメントはこちらからお願いします!



もう1本読んでみる